昭和40年08月25日 夜の御理解
非常に強い根が這ってるんですね。ですからあそこは地割れをすることが無い、地震でも屋根の中をというふうにですね、竹の根というのはもう非常にしかも沢山の根がです、しかも強く、しかもあの今朝から頂きます御理解のように、竹は例えば縁の下にでもあると、縁を突き動かしてでも出るというような強いものをもっておる、貫くというもの、そのかわり風でも吹いたなら、それにひとつも逆らわない、素直であるという、柔らかな素直で、それでいてしっかりその根をおろしている具合というものは、地震でも地をわることはできない。
みんなが例えば、さあうちのお母さんの、しっかりしてござる、お母さんに難儀を持っていきゃ、お母さんが処理してくださる、というくらいな信心を やはり頂かなければいけないと思うですね。お母さんに家におって貰うと安心と言われるくらいな信心を頂かなければいけない。ためにはまず、その今朝からのご理解じゃないですけども、素直にあってしかも、その貫き通すといういわゆる女の一念というですかね、その岩でも貫きとおすと言った様な、いかにも弱そうに見えておるくわでもそうだという。
一心ということです。でそこであの私は思うんですけれど、竹の根がもうそれこそ沢山の根が地に入って、しかもそれが地震でも、地を割ることができないような、その強い根を下ろしておるということ、そこんところを頂きたい今日は。ですから私はそういうような信心は、ならどういうような信心から生まれてくるだろうかと、私は今朝今晩そんな御心眼を頂きますから、はあ今朝のご理解に引き続いてのご理解だなあと感じたんですよね竹のご理解でしたから。
ですから、あの思っておりましたら、その沢山の根というのはね、もうこのことだけは信心でいくけれども、このことはだけは信心でいけん、という人があるですね。もうほかんこつならもう、信心でいくばってん、もう金銭のこつだけは、そんなわけにはいけないとか、もうほかんことは親先生任せにになるばってん、もう病気したときだけは、やっぱ、そんなわけにはいかない、やっぱお医者さんでなからにゃ薬でなからにゃ、という人があるでしょうが、ね。
もう一切もう私共の一切を信心で頂こうというのでなからなければならん、というようなことをいただくんですね。そこに私はいわゆる、地震のような大地が揺れ動くとか、大地が裂けるといったような、大難儀な場合でもです、ね、その人の根方に行けば大丈夫と言われるくらいな、強いものが、生まれてくるのだとこう思うんです。どうぞ今朝の御理解にもあるように、特に私は女の方主婦の方の、今日の婦人部会の皆さんの、椛目なら椛目というですね。
その例えばまあいうならなんですか、御造営が始まるときに頂きましたように、その、従軍看護婦的な、その御用を勤めなければならない、ね、だからもううちの例えば婦人部会の人達にもっていったらです、ね、もう安心がでけると言われるくらいな、信心をです、一つ皆さんに頂いて頂きたいと、それには本当にもう一事が万事に一日に、その四六時中がです、ね、神様とこのことだけは神様に、で。
おかげいただきよるばってん、このことは神様ではおかげ頂かれん、といったような思いがあるなら、そこんところをひとつ、段々縮めていくところの信心さしてもろうて、ね、無数の限りないいわば、根を下ろしていくところの、竹のような根を這った信心にならしてもらう、いわゆる大地が微動だもせんと、たとえそれが地震のようなことの場合でも、そういうおかげが頂けれる。
みんながそこに駆け込んで来れるような、ひとつまあ見かけは、なよなよとしておるけれどもです、ね、その根は大磐石といったような信心を、しかもその一念が貫かれると、今朝の御理解じゃないですけれども、押入れの下どん入った、重なるんなら押入れの、その(おおぼ?)を貫いて。天井を貫くというくらいな一つの勢いというものが必要じゃないでしょうかね。そういう信心を頂くためにお互い精進さしてもらわねばいけませんね、 どうぞ。